2009年11月05日

日置天神社@大阪府枚方市

■日置天神社@大阪府枚方市招提南町2−28−1

20091105日置天神社01.JPG
日置今池街道沿いに鎮座している。
てっきりこの街道は昔からそう呼ばれている歴史的な道なのかと思っていたら、
枚方市が平成2年に公募で付けた名称らしい。

少し西へ行けば広い真っ直ぐな道路があり車通りも多いが、神社の前のこの街道は昔ながらの路という感じで、
さほど車通りも多くはなく、さほど広くもなくクネクネとした道が林の中や住宅の間を抜けて行っている。

20091105日置天神社03.JPG拝殿前には広場があり、その広場を囲むように扇状に背の高い小屋が並んで建っている。
おそらく中には山車が保管されているのであろう。
8つの大きな小屋が囲んでいるので、なかなか迫力であった。
祭礼の際の、8基の山車が並んでいる姿はさぞかし迫力があるのだろう。

本殿の両脇には赤い鳥居の稲荷社と社の前に鏡が置いてある三社神社があった。
拝殿前には奉納されたまだ新しさが残る撫で牛があった。
境内端には鏡が池の跡碑も立っていた。


20091105日置天神社02.JPG
拝殿前には特徴のある顔立ちの狛犬が1対。
鼻先が大きく前で出ており、立体的である。

社名と撫で牛からも、すっかり菅原道真公を祀る天神社かと思っていたのだが、祭神は別にもう1柱。
天之御中主神も祀られているらしい。

この神は古事記では天地開闢の際に高天原に最初に出現した神であるとだけ記述があり、その功績などは書かれていない。
神々の根源とも言える神でありながら、古社でこの神を祀る神社は少ない。
八百万の神々を祀る神社を全て順々に参ろうと試みた私もこの神を含め造化三神を配祀する秩父の三峯神社から参拝を開始した経緯がある。

社名にもなっている天神社と言うと、『天神さん』こと菅原道真公を祀る神社が一番に思い浮かぶが、それ以外に天津神の事を天の神(天神)を祀る神社も天神社と言う。
境内の説明版によると、社名の日置というのは惟喬親王(844〜897)が交野ヶ原で鷹狩りをしたときに愛鷹が見えなくなったので、日没を惜しんで「日を止め置かせ給へ」と天神に祈ったという伝承に由来するらしい。
ここでの天神とは天の神ということであり、天津神の代表として天之御中主神を祀ることになったのであろう。
おそらく後の時代に菅原道真公も併せて祀ることになったのだろうが経緯は不明。

なにはともあれ、今ではこの天神社には2つの天神が祀られている事になる。


社務所はあるが無人。
駐車スペースは鳥居の脇に1台くらいなら置けるかも。
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2009年11月04日

十九神社@兵庫県尼崎市

■十九神社@兵庫県尼崎市椎堂1-28-1

20091104十九神社.JPG
先週末からめっきり寒くなり、バイクでの移動は中々辛い季節になってきました。
まぁ そうは言っても昼間は日が当たっていればまだ暖かくて気持ちいいです。

いつも昼休みの神社参拝には尼崎市神道青年会さんのHPを利用したりしてるんですけど、
こちらの神社の紹介ページにの住所は「西本町6丁目246」となっています。
この記載の住所は西本町の貴布禰神社の物のようです。間違えてはりますね^^;

改めて地図から探して場所を確認。
猪名川公園に面して鎮座しているようだ。

現地に行ってみると、境内の側面は公園の木々が茂っていた。
ただ、公園と神社は繋がった参道などは無いので注意。

細い道の住宅街に鎮座していた。
神社前の道は行き止まりなので、車が置けるかもしれないが奥に1台車が停まっており、すれ違いは出来ないのであまりお勧めできない。

境内には旧そうな狛犬が1対、昭和狛犬が2対いる。
小さな神社だが狛犬は沢山いた。

拝殿および本殿の覆屋は赤く塗られた柱と白壁のコントラストが美しい。
拝殿横に大きな木が2本生えており、神社の特徴となっている。

境内入り口の石鳥居には「豊宇氣毘賣命」の神額が掲げられていた。
無くもないが、社名ではなく神名の額が鳥居に掲げられているのはそんなには無いんではないだろうか。
ちなみに拝殿には「十九神社」の額が掲げられていた。

十九という社名は、十九柱の神が祀られているとかに由来しているのかと思ったのだが、そうではないらしい。
実際、祭神は豊受毘売命の一柱である。
十九と書いて「とうく」と読むのだが、祭神の豊受から来ているらしい。。。あまり近く無い気がするが^^;
境内には由緒碑もあったので、詳細な由緒などについて、神社ていすと(本館)の方で紹介しますね。


社務所らしき建物(倉庫?)はあるが、無人の神社さんでした。
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土佐稲荷・岬神社@京都市下京区

河原町にショッピングへフラフラ出かけたので、木屋町のバイク駐輪場へ。
ちょうど河原町通りに抜ける途中に小さなお稲荷さんがあった。

■土佐稲荷・岬神社@京都市下京区
(参拝日2009/11/03)
20091103土佐稲荷01.JPG

京都の鴨川近く、京都一の繁華街である先斗町、木屋町のちょっと細い道に入った所のビルとビルの間に鎮座している。
観光客やら普通にショッピングに来ている地元の人たちやらでごったがえしている河原町通りから少しだけ入った所だが、境内の中は狭いが静かな空間であった。

神社の前には土佐稲荷の赤い幟がたくさん並べてあった。

小さな神門をくぐると赤い鳥居と奥に拝所と本殿。
拝所には献灯された赤い大きな提灯がぶら下がっており、左手には手水舎もある。


20091103土佐稲荷02.JPG神門の柱には「寄附 先斗町遊廊中」とあった。
なんともこの辺りに当時の風情を感じます。

無人だが社務所には坂本龍馬の写真が飾られていた。
やはり土佐と言えば龍馬なんだろうか、京都という地も龍馬に色々と纏わる地ですしねぇ。

境内には龍馬の像もあるのだが、石像・銅像ではなく何か人工的な素材で作られたものだったらしく風化が激しく、頭の部分は溶けてしまい胴体も穴が沢山開いているしまっており、とても無残な姿となっている。

拝所から本殿を覗くと、2つの扉が並んでいた。
倉稲魂命・石栄神の2座とあることからそれらだろう。
石栄神とはどのような神なのだろうか?
ちょこっとネットで調べてみたが詳細は不明。
神社の御利益に土木建築関係というものもあったのでその関係の神なのだろうか。

この神社は元々土佐藩邸内にあったが、民衆の崇敬の念が通じ特別に邸内の通行が許されたことから、土佐稲荷と呼ばれるようになったという。
武士の世界にも民衆に対する、なかなか粋な計らいっていうものがあったんですねぇ


駐車場なども無く道も細いので、徒歩での参拝をお勧めします。


最後に、何故か龍馬像のアップ写真だけが撮れてなかったりします。
撮影はしたものの何故か保存されておらず。無残な姿は撮られたく無かったんですかねぇ龍馬さん。
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2009年11月02日

機物神社@大阪府交野市

■機物神社@大阪府交野市倉治1-1-7
20091102機物神社01.JPG
七夕伝説の「織姫」を祀る神社である。
近くには天の川も流れている。

七夕の祭礼は盛大に行われ、境内は七夕の笹で一杯になるらしい。

織姫は祭神名としては「天棚機比売大神」となっており、
他に栲機千々比売神、地代主神、八重事代主神が主祭神として祀られている。
元々は、この地に機織を伝えた渡来人である漢人庄員が祀られていたとされ、後の時代に棚機姫を祭神と変え、元の祭神は地代主神と名を変え祀られるようになったと言われている。

長い参道は両脇に背の低い木が並んでおり、土の参道である。田舎の神社という感じがした。
実際には住宅地に鎮座しているのだが。

20091102機物神社02.JPG境内に入る門の中には古い機織の機械が保存してあった。
拝殿は赤と白のコントラストが美しい。

本殿の両脇には境内社がある。境内にはもう一つ、社殿は無いが鳥居の先に石灯篭が囲んでいるところがあった。
祭神などは不明である。

拝殿前には3対の狛犬が居た。
どこ子も今時の量産型ではなく、彫り手の好みが出ている作品だった。


御朱印を頂きに社務所に伺ったところ、宮司さんは別の自宅におられるとのこと。
宮司さん宛に言伝をお願いしておいた。
posted by れい@神社ていすと運営委員会 at 13:54| Comment(3) | TrackBack(0) | 【神社】神社参拝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月01日

式内・陶荒田神社@大阪府堺市

■陶荒田神社@大阪府堺市
(参拝日2009/10/31)

式内社である。
陶器の発祥の地に鎮座していることから陶器大宮とも呼ばれているらしい。

20091031陶荒田神社01.JPG神社に向かう途中、鳥居のある意味無残な姿があった。
元々は高台にあったと思われるが、その後の整地で土地が削られたみたいだ。
鳥居の高さはそのままにしたかったと思われ、高さだけを維持する為にまるで棒倒しで棒を倒さないように棒の足元だけ残して廻りの砂は削ったような形になっていた。
なんとも奇妙な光景だった。

奇妙な鳥居の横の道を進むと神社に辿りつく。



20091031陶荒田神社02.JPG
石鳥居の横にある社号碑だが「式内 陶 荒田神社」とあった。
何故か陶と荒の間に1文字分の空白があった。何か意図があったのでしょうか?^^;
鳥居の前には狛犬は年代は判らないが昭和狛犬では無い子は座っていた。

境内はそこそこ広く、多くの境内社があった。
拝殿には「第一式内 陶荒田神社」の扁額が掲げてあった。

20091031陶荒田神社03.JPGこちらの神社には数多くの狛犬が居たが全て昭和狛犬では無く味のある子達だ。
その中でもある境内社の前にいる子はとてもいい顔をしていた。

ほんと、造り手オリジナルのセンスで作られている狛犬はいい。

拝殿横の授与口は16時を過ぎていたため閉まっていたが、宮司さん宅を兼ねていると思われる社務所が境内にあったので伺った。
御朱印はこちらで頂けました。
駐車場もあるため、車での参拝も問題ありません。

posted by れい@神社ていすと運営委員会 at 22:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 【神社】その他の式内社参拝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月31日

和歌山県の神社を巡る予定です。

こんにちは。
管理人のれいです。

SANY0002.JPGこの週末に和歌山県の神社を巡ろうかと思っています。

和歌山には岡山と変わらないくらい遊びに行ってたりするんですけど、何故か一宮など1社も廻ってなかったりします。

と、いうわけで今回は一宮と総社くらいは廻りたいかなと。。。
それ以外は趣味で^^;


そういや、和歌山に行ったら温泉の他、RAGUMANにも顔を出しておきたいところです。RAGUMANのラーメン美味しいですょ★
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2009年10月30日

活津彦根神社@滋賀県安土町

(2009/10/25の滋賀県の神社の参拝記です)

■活津彦根神社@滋賀県蒲生郡安土町下豊浦4272

20091025活津彦根神社.JPG
安土山の東登山口よりまっすぐ西へ向かった所、住宅地の中に鎮座している。

訪れたときには陽は暮れすっかり暗くなってしまった。
写真を撮るのも限界の時間である。

大きな石鳥居の向こうには広い境内が拡がっていた。
薄暗い中、本殿へ向かった。

大きな拝殿とその奥に立派な本殿の社殿があった。

社務所もあったが、無人の様子であった。
大きな神社さんなので、日中は神職さんがおられるかもしれない。
駐車スペースは境内に車を置くことができると思われる。

こちらの社名にもなっており、祭神でもある活津彦根命(イクツヒコネ)は、アマテラスとスサノオの誓約によって生まれた神である。
神名に「彦根」を含んでおり、彦根という地名の由来になったと思われる。
この神様を祀る著名な神社は彦根市にある彦根神社とこの活津彦根神社らしい。

紀記に登場する八百万の神々を祀る神社を神社を順に巡ろうとした当初の目論みはかなり方向性がずれては来ているものの、やはり根本にはその思いは今もある。
イクツヒコネを祀る数少ない神社の一つに参れたのは幸いであった。
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式内・石部神社@滋賀県安土町

(2009/10/25の滋賀県の神社の参拝記です)

安土城跡の頂上の天主台跡まで大手道より登り、降りるのはハ見寺三重塔や仁王門がある側から廻って降りた。
この時に現在は通行止めとなっていたが降りていける登山道があった。その先には石鳥居が見えていた。
道自体には問題は無さそうだし、何か政治的な理由があるのだろうか。とにかくその先に神社が見えているのに行く手は阻まれていた。
下側からは登ってこれそうなので、とりあえず登って来た大手道側の入り口に戻った。

安土城跡の入り口の入山料を払う所にいたおばさんに神社の事を聞いてみる。
細い道だが、山沿いに続いている道を進めば神社の参道へいけるらしい。
さっそく神社へ向かった。

道の先には寺院があり、その横には安土城跡と書かれた石碑とともに山の中に続く石段。
本当にこの先に神社があるのか疑問に思いながら石段を登り始めた。
もう時間的にも薄暗くなり始めた中、木々がうっそうと茂る林の間の石段をしばらく登ると石鳥居が見えてきた。

20091025石部神社(安土).JPG

■石部神社@滋賀県蒲生郡安土町

社号碑には「式内 石部神社」とあった。
思わぬ式内社参拝となった。
やはり、林の間に見えた石鳥居は運命的だったのだろうか^^;

境内はそんなに広くは無い。
少し苔が生しかけていたりと落ち着いた空間であった。

拝殿とその奥には本殿。
本殿前には旧そうな狛犬が1対いた。

社務所は無く、無人の神社さんであった。
駐車場は無いが、参道前に停めれないこともないかな。

こちらの神社は安土城が築城される前からこの地に鎮座していたとされるが、
織田信長が安土城を築城するにあたり、安土山の麓に鎮座する当社を守護神として奉じたそうだ。

神社へ続く石段は、元々ここは「東登山口」と呼ばれた安土城への登山道であった。
現在はこの登山道は閉鎖されている。

ここからは私の単なる推測であるが、今年安土城を舞台とした映画が公開される。
そのことで安土城跡が観光資源となると見込んだ人達が、大手道側に大きな有料駐車場を設置、入山料と駐車料金の確保を確実にするために東登山口を閉鎖し、大手道のみとしたと思われれる。

かつては安土城の守護神として奉じた神社がある登山口を閉じてしまい、安土城跡に訪れた人を神社と遮断をしてしまっている。
人の流れは全て大手道に向かい、今ではこの登山口そして安土城を見守ってきた神社へ参拝する人も殆んど居ない。
なんとも複雑な気持ちになった。
posted by れい@神社ていすと運営委員会 at 16:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 【神社】その他の式内社参拝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月29日

式内・沙沙貴神社@滋賀県安土町

(2009/10/24〜25に参拝した神社の参拝記録です)

■沙沙貴神社@滋賀県蒲生郡安土町常楽寺1番

20091025沙沙貴神社.JPG
ここもまた式内社である。
先ほど訪れた苗村神社ほどではないが、ここも広い社地を持つ大きな神社さんだった。

駐車場に車を停め、境内に向かう。
途中、色々と立て看板やらぶら提げてある看板などを目にする。
なんじゃもんじゃの木もあって、御丁寧な説明板付であった。

細かい説明書きをして貰えるのはよいことだが、多いとB級な香りが漂ってくる^^;
失礼な話だが、ここも少しBな香りがしつつあった。

ここの神社には立派な楼門があった。
屋根の比重が大きく茅葺の屋根を持つ楼門の形はこの辺りに多いのだろうか。

楼門の両側は瓦屋根に白壁の回廊が続いている。
掲げてある扁額「沙沙貴神社」の文字は有栖川親王の筆字らしい。
扁額の隣にわざわざ説明書きも掲げてあった。

門をくぐり境内に入ると、正面に大きく立派な拝殿。
その奥にいくつかの社殿が見える。
門の内側には奉納された酒樽が並んでいた。
「神乃滴」というお酒らしいが、この辺り、安土の地酒らしい。

本社の本殿前の幣殿はガラス張りの入り口に中には椅子が並んでいた。
色々とお金をかけておられる神社のような気がしました^^;

本殿隣には石碑とその拝所が設けられており、少彦名神と天之羅摩船と札が掲げてあった。
拝所には願かけ石と書かれた縄で繋がった三つの石が置いてあった。
石碑の前には沢山の白い小石が積まれていた。
この小石も願掛け石として御守りになっているらしく、賽銭箱の上で授与(販売)されていた。
ちなみに、天之羅摩船とは少彦名神が登場したときに乗ってきた船とされ、その船で海を渡ってこの地、ササキ郷にやってきた。
それが沙沙貴神社の始まりだそうです。

そして隣には権殿という社殿もある。

本殿の裏には十二支の石像を並べてあった。
なんでもありという感じがする。

こちらの神社は乃木希典ゆかりの神社でもあったようだ。
境内には乃木大将の植えたとされる松とともに「乃木さんのお言葉」という石碑が建っている。
長くなるので内容は割愛する。神社ていすと本館にでも紹介します。

他には庭園などもあり、色々と揃っている。
立派な絵馬殿もあり、大きな奉納絵馬が掲げられていた。
その中に、同神社の宮司さんについてのコーナー(笑)があり、略歴や神職1級の神社庁の通達などが飾ってあった。
これ以上書きませんが、私の言いたいことは何となく察してもらえますかね^^;

御朱印は社務所で頂けました。
残念ながら社名の部分もハンコです。

ちなみに、日本の「佐々木」姓発祥の地らしいです。
佐々木さんはぜひ伺ってみてはどうでしょう。
posted by れい@神社ていすと運営委員会 at 19:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 【神社】その他の式内社参拝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

野里住吉神社@大阪市西淀川区

■野里住吉神社@大阪市西淀川区野里1−15−12

20091029野里住吉神社01.JPG
商店街の終点(始点?)、住宅地の中に鎮座している。
境内に車の乗り入れが出来るため、駐車することは可能。
ただし、周辺の道路は狭く、一方通行の道や歩行者専用道路が多い為、要注意。

住宅地の中にある神社だが境内は広く、太鼓橋などもある。
木々もまばらだが大きく茂ったものがたっており、地を這うように育った木などもある。

私が訪れたときも地元の方が何名かが通りすがりに参拝されていて、地元の人に大事にされている神社という雰囲気であった。

正面には本社の拝殿がある。
白壁に薄い緑っぽい色をした屋根。
おそらくコンクリート製だと思われる。

20091029野里住吉神社02.JPG拝殿前には時代は判らないが旧そうな狛犬が1対。
なかなか変わった顔をしている。

左手には朱色の鳥居に「本祖 月瀬大明神」と神額が掲げられた稲荷社と、その他の境内社が並んでいる。
ちょっと調べてみると「月瀬神社」は長野県に1社あり、御神木の杉が有名らしい。
他は福岡県に月瀬八幡宮がある。わざわざ本祖と書いているくらいなので何かあるのかと思ったが、これ以上の詳細は不明。
宮司さんにも聞き忘れてしまった。

境内右奥に境内社・は淀川戎神社がある。
他の境内社に比べると格段に立派な社殿である。

本殿裏には、だんじりの中神車が納められた倉庫が並んでいた。

こちらの神社では「一夜官女祭り」という祭礼が行われるのだが、この祭りに関する伝承がある。

その昔、この辺りは風水害と厄病の流行によって大変な地域だったそうです。
人々は神に救いを求め、毎年決められた日の深夜に娘を唐櫃に入れて神社境内に放置し人身御供としたそうです。
ある時、この儀式の準備をしているところに、一人の武士が訪れました。
ことの次第を聞いた武士は「神は人を救うもので犠牲にするものではない」と言い、自らが唐櫃に入りました。

翌朝、村人達が神社に行くと境内は血塗れとなっていました。
血は隣村まで続いており大きな狒々(ひひ)が絶命していたという。

村を救った武士の姿は既になかったといいます。
後に武士の正体は岩見重太郎だったと伝えられています。

毎年娘が運ばれた場所は社殿裏の龍の池と伝えられる。
現在では長い年月次第に池は埋まり、形だけが残る状態であったが、
その跡地に乙女塚を建て往時を偲ぶことにしたそうです。
この乙女塚は本殿の裏にありました。
20091029野里住吉神社03.JPG

御朱印は社務所で頂けます。
その時に宮司さんから、だんじりについてのお話を聞くことが出来た。。
祭礼で使う「だんじり」は歴史のある旧い物であったが、その旧さゆえに派手な動きが出来ないものだったらしい。
そこで、最近新しく新調をしてる最中だそうで、長年使われてきた「だんじり」は中津のお宮に嫁入りしたそうです。
と、いうわけで本殿裏の倉庫の一つは空だと仰ってました。


ちなみに、いつも昼休みに神社へ出かけるときは、事前にパソコンのNavitimeのサイトで神社までの経路を調べて、
判りにくそうな時は周辺の地図を携帯へ画像で転送していた。あとは記憶だけが頼り。
今日も同じようにして行ったのだが、住宅地の中の一方通行の多さから迷ってしまった。

困ったなぁ と思いつつ仕方ないので携帯でGoogleMapを開こうとしたのだが、以前機種の旧さから未対応だったGoogleMapのアプリを思い出した。
一応、機種が新しくなったので試してみるとちゃんと動く様子。
GPSで位置情報を送信してみると、自分がいる場所がGoogleMap上に出た。
なんと、神社のスグ近くまで来てるものの商店街が邪魔して行けなかったようだ。
と、いうわけでGoogleMapアプリを頼りに何とか神社まで辿りつけました。
ストリートビューまで表示されて、なかなか優秀です。

相方がいる時は、助手席ナビを使ってもらっているんですけど、バイクでふらふらと走るくらいであればこのGoogleMapアプリ+GPSでも十分だなと思いました。
GPS情報を手動で更新しないといけないので、ナビみたいにはいきませんけど^^;
皆さまもぜひ使ってみてはどうでしょうか。


さらに追記。。。今回、写真の大きさを少し大きくしてみました。
境内の雰囲気など伝わりやすくなりましたでしょうか?
みなさまのご感想もお待ちしております。
・・・容量が心配ですけど。
posted by れい@神社ていすと運営委員会 at 16:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 【神社】神社参拝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする